佐藤誠先生が東京工業大学から、米沢工業高等学校に着任されたのは、昭和になってからだ。米沢に着任されて1か月後に太平洋戦争が始まった。佐藤誠先生の東京の友人には、「君は先見の明があった」と羨ましがられたそうだ。戦争が終わって社会が落ち着いたら、今度は「田舎侍、いつまでも米沢で、何をしているの?」と言われるようになったそうだ。
当時の米沢工業高等学校の電気化学の教授が欠員になっていて、横浜高等工業学校電気化学科の教授が分担して講義に来られたり、東北帝国大学助教授であった大内謙一博士が、毎週講義に来られていた。 |