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ID | ⇒#305@研究ノート; |
要約 | 【研究ノート】大正10年11月4日夜、東京駅で⇒#305@研究ノート; |
日時 | 記録=2005/10/26, 修正=2005/12/1 |
研究者 | 立花 和宏 |
リンク | 関連外部URL=http://c1.yz.yam…, 学認共有URL=, 講義 研究 発表 業績 テーマ 製品 計算式 |
内容 | 大正10年11月4日夜、東京駅で時の内閣総理大臣・原敬が暗殺された。改革を志し、「平民宰相」として国民の人気を集めていた原敬は、なぜ暗殺されたのか。 ちょうどいまごろの季節やね・・・ 東京駅丸の内南口で暗殺されたんよ・・・ その場所には、今でも原敬を偲んだ鋲があるんだ ちなみに原敬はぼくと同郷の岩手県人^^ 寺田屋もそうだけど改革には血が流れるね~ 盛岡にはね、暗殺されたときの血染めの服がそのまま残ってるんだよね・・・ 40くらいで頭まっしろなんだよねー、原総理 AC中のACといえば、ACなんだけどね・・・ とにかく優秀だった 産業の発展を願ってたんだよね 庶民の視点を忘れなかった人だ お葬式も地味だったらしい 本人がね、暗殺される覚悟があったらしく 遺書を残してるんだよ もし、我死すとも・・・なんちゃらって それも盛岡にあったのを読んだ とにかく、死んでも庶民のためにありたいから、総理大臣だからといって税金から無駄金を使うな、と えーと時代は坂本竜馬までさかのぼるわけだけど 彼らのの努力で大政奉還をなしとげて新政府ができあがった ところが歴史は繰り返すってやつでねえ・・・ それから100年もたつと 薩長出身っていうだけでがハバきかせるようになってくる 原はおもいきって徳川を起用したりもしてる 政治でもなんでもそうだけど、強さを保つには、多様性の維持が大切なんだ 賛成意見ばかりじゃなくて、ちゃんと反対意見もあるような体制 薩長はのさばりすぎて、結局は徳川と同じことをやらかした 「そんなことするな、もういいじゃないか」<薩長 結局は産業革命におくれをとった徳川の鎖国政策と同じ 100年もたてば世界情勢もかわる 原は改革を断行しようとした たとえば教育系でいえば 言文一致なんかをやらかした それまで「候文」で書いてたやつをね、思い切って口語文OKにした まあ、識者モドキからは苦情でまくり 保守主義からは反発くらうわなあ・・・ 今だって、そゆことやれば文句たらたらでるよー 今にたとえれば 行政文書に顔文字OKにするようなもんだ まー、そんなのがつもりつもって、うらみをかったのだ もっともうらみが怖くて改革なんぞやれんけどね うん、うらみかねたみか、どっちにしろそんなところだ まー、すげーやっちゃ<原 岩手は歴代4人の首相をだしてるんだ 一番が山口県 中岡中也の山口と、宮沢賢治の岩手 両方とも米がとれないんだ 岩手は稲作の北限 と、当時は言われていて 寒さの夏はオロオロ歩き・・・ 常に冷害による飢饉を覚悟してた かといって仙台みたいに宿場町でもない だから商業の発展ものぞめない とすると、生き残りには知恵しかなかったんだよ りんごが有名だけどね ありゃ、りんごが作りたかったわけじゃない 米が作れないってんでの苦肉の策だ ま、そんなところから平民のために薩長の古い官僚体制をくずして 新しい日本を作るべく立ったオトコがひとり その志半ばで斃れた その場所が、東京丸の内南口だよ |
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