理科実験教室にかかわった方々に「大人になった子どもたちに伝えたいメッセージは何ですか?」とたずねてみた。
「理科に興味を持つきっかけになってほしい」「非科学的な風評にまどわされない力をつけてほしい」・・・「ノーベル賞が出たらいいな」
果たせなかった自分たちの夢である。
まさに池塘春草の夢である。
してはいけないことがある。大人たちの夢を子どもたちの呪いに変えることだ。どんなに素晴らしい理科実験教室でも、引き際を誤ると「できたらいいな」の夢が「しなくちゃいけない」の呪いに変わってしまう。積み上げてきたものが「せっかくだから・・・」のたった一言で台無しになってしまう。何事も退き際が大切なのだ。夢は潔いほど美しい。
岡目八目の言葉通り、当事者よりも第三者の方が物事の真相や得失がよくわかるものである。掃除をしていたおばさんの言葉。「理科実験教室で子どもたちが来ると建物の雰囲気が明るくなった」この言葉に理科実験教室の真相の全てがこもっている。理科実験教室で、親を元気にし、学校を活性化し、地域を明るくし、大人に生きがいを与えたのは、ほかでもない子どもたちなのだ。
筆者の生まれ故郷近くに遠野というところがある。そこの古くから言い伝えに「座敷わらし」という子どもの妖怪がある。座敷わらしが住み着いた家は繁栄し、座敷わらしがいなくなるとその家は没落するという。柳田國男の遠野物語に紹介されたこの民間伝承には、現代そして未来に通じる真実があるように感じられる。
大人は、だれも、はじめは子どもだった。しかし、そのことを忘れずにいる大人はいくらもいない(サン=テグジュペリ)。だから君たちがそのことを忘れないように、子どもだった君たちへのメッセージを本稿に書き残しておきたい。
大人がいくら気を揉んだところで、次の時代を担っていくのは君たち自身にほかならない。大人は結局のところ、君たちを信じて、君たちの目の輝きを絶やさぬよう、君たちに夢を託すほかないのである。だから大人になった君たちに一番伝えたい言葉は次のようである。
あのときの生きがいをありがとう。
そして大人になった君たちに生きがいを与えてくれているのが、さらに次の世代の子どもたちだということを忘れないでいる限り、君たち自身も豊かな人生を歩んでいくことができるに違いない。
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